どうも!
昭和62年生まれのゆとりプロトタイプの遠島です。
平成を振り替えると自分の振り返りになるということに気づきました。
ほとんど個人的な備忘録に近いですね。ブログを書くというリハビリもかねて・・・笑
自己紹介はあくまでビジネスの紹介しかしてなかったので、僕の平成を振り返りました。
1987年10月 誕生
札幌に生まれる。未熟児だったようです。
幼稚園時代
そこそこやんちゃでした。
幼稚園自体がちょっとした山の上にあったので非常に鍛えられるも、その小山から駆け下りるときに勢い余ってこけて、膝を6針塗ってガン泣き。今でもそのケガの後がありありと残っています笑
下ったときにけがをした坂の映像は、今でも思い出せるレベル。
幼馴染の男子4人でよくつるんでいて、積み木と側転、セミの抜け殻をこよなく愛す幼稚園児でした。
小学校時代(1994~2000年)
家から徒歩数分の小学校中学校に通う。
非常によい先生に恵まれたのは今でも感謝です。
ピアノも地味にやりつつ、クラスの合唱会等でパート事練習の時は演奏してました。鳴子をもってよさこいソーランもやりましたね。
もっぱらサッカーをやっていました。
それこそ今日本代表、神戸ヴィッセルでプロとして活躍している西大伍ともサッカーをやっていた時期がありました笑
彼はあの頃から突出してサッカーはうまかった・・・。
僕は区選抜レベルでした笑
5,6年生のころは、スタンツ大会という月一回、クラス内で数組に別れて演劇をし合うという謎イベントで、クラスの好きな子の家とかに行ってドキドキしていたのは今でも覚えています笑
スマブラとミニ四駆をこよなく愛し、公園で走らせていたのも思い出しました笑
スマブラはネスで、ミニ四駆スティンガーが愛車でした・・・
ピアノやスポーツといった器用貧乏さをこの頃から発揮する。
そして私立中学校受験をし、見事落ちる。
この頃から落ちグセがついたような・・・。
中学校時代(2000~2003年)
中学校になると、小学校より家に近くなり学年でも1,2番を争うくらい学校から家が近かったです笑
小学校から引き続きサッカーを続けるも、ここで道を踏み外す。
エヴァに出会ってしまう。ちなみに綾波派(現アスカ派)
この時点ではアニオタではなかったのですがが、オタク路線まっしぐらになりました・・・
サッカーという陽キャをやりつつ、オタクとしても遊ぶダブルスタンダート。
ちなみにおそらく同世代は遊戯王を楽しんでいたところ、やっていたカードゲームはモンコレこと、モンスターコレクション。小説も展開されていて、めちゃくちゃはまってましたねぇ。
このころの遊戯王はあんまり戦略性がなかったような気がしますね。今はどうだか知りませんが・・・1ターンキルなんてものがある時点で運ゲー感が否めないですね。
対してモンコレはTRPGの要素を持ちつつ(陣取り合戦みたいな感じ)、ロールプレイ的な側面もあったので、遊戯王のように運ゲーみたいなものではなく戦略性が非常に幅広く楽しむことができていました。
そんなサッカーもやりつつ、オタクもやりつつというのが中学生時代でしたね。
そして、高校受験は気になる子が受ける高校を受けるも見事落ち、滑り止めにうけた私立に通うことに。
高校生時代(2003~2006年)
中学生時代はまだサッカーやりつつ、ピアノもやりつつ、運動と勉強もそれなりにできた人間でしたが、高校で完全に道を踏み外し、男子校に通ってしまう。ウホッ
そしてガンダムに出会ってしまう。世はSEED全盛期。
ほぼ毎日ゲーセンに通うという習慣がついてしまう。今で言う動物園。カスタムグフ無双をしていました。
そして家に帰ったらRO(ラグナロクオンライン)でもゲーセン仲間とネットゲームをするという、完全ゲーム三昧。
受験に落ちた反省を生かすこともなく勉強そっちのけの状態でした。
そして小中学校とやっていた、サッカーはやめてしまいました。日光湿疹がひどく、もっぱら引きこもるようになり、なんもやらんのもなぁと思い、内申点という下心ありありで生徒会に入る。
結局副会長まで担当し、それなりに楽しく過ごすことができました。
大学受験は、親から北海道外を受けることが許されなく、さりとて親元にいたくないという心理もあったため、函館の大学を受験することに。
しかし、AO試験、推薦試験、前期試験と落ち、落ちグセを発揮するも、なんとか後期試験でおそらくお情けで大学に受かることができました。
晴れて一人暮らし開始!
大学生時代(2006~2011年)
大学は、いろいろチャレンジしました。
- 一人暮らしに始まり
- 店で出せるレベルのご飯づくり
- 初バイトで飲食店は無理だと悟り(カラオケ→イタ飯)
- 夏休みは引きこもってゲーム三昧
- オーケストラが面白そうだったので、チェロをする。
- 自転車(クロスバイク)に乗り始め、ブルベに参加。
- 塾講師をはじめ、全国8位の成績を収め、小〜高校生までモテモテ!
- プロジェクト学習というものでリーダーを務める。
そして就活。世はまさにリーマンショック時代。
周りはそんな中内定を決めていくも、内定が決まらず就職留年をする。
その時の思いはこちらに書いています。
就職留年時代は、札幌に実家に戻りアルバイトをしながら、たまに都内に行って就活をするということをやっていました。都内で就活する際は、神奈川に妹が住んでいたので、宿泊費を浮かすために毎回泊めてもらっていました。
都内サラリーマン時代(2011~2014年)
無事?1年遅れで就職した僕は、都内のIT企業に勤めるようになりました。
新入社員の育成と人事に出てくる人が、(後々わかったのですが)社内でも使えなくなった人が回されてきていることに衝撃を受けました。
仕事はできなさそう・・・。だけど大丈夫かこれ・・・
と思っていたのは間違いじゃなかった。
1~3年目はとにかくIT技術を学びまくりました。基本情報はもとより、応用、VMware等の資格も取得しました。
参画していたプロジェクトは、毎年ニュースになるレベルのもだったので、やりがいがそこそこありました。しかしそのプロジェクトが解散した後、いろいろ転々とした後は都内の炎上していたプロジェクトを任され鎮静化させました。
鎮静化した後は、ほとんど繰り返しの業務が年単位で同じことをやっていました。しかしそれはそれで楽なのでそのままにしていましたが・・・・
そこで気づきました・・・
給料上がらねぇ・・・
めったに行かない会社の飲み会で会社の先輩から給料上がらないのというのと、その裏付けに隣で社内でもかなり仕事をしている先輩の給与明細も見たのですが、
うそ・・・私の給料と変わらない!
とは言え、いきなり転職するのも今の給与以下になる可能性があるなと思い、副業を始めることにしました。
サラリーマン+副業時代(2015~2018年)
幸い今のサラリーマン業務はだらだらやっていても問題ないものだったし、出向している状態だったので会社の面倒なイベントも適当に断ることができました。
なのでさっさと家に帰って副業をするという生活をしておりました。トイレに行って、スマホで副業・・・というのもよくやっていました。
かれこれ、会社に行って帰ってから副業をするということを2,3年やっていました。
友人に話したら、一人ブラック企業と称されていました笑
ただ、いろいろ改善していった結果、かなり少ない時間で稼げるようになりました。
おかげさまでサラリーマンより稼げるようになれました。1か月で1千万の売り上げをあげられました。
そこで自分でも稼げるようになったので、転職に失敗してもまぁ副業の稼ぎがあるから大丈夫か!と思い、転職してもいいかなと思ったので転職しました。
せっかくなので、転職ではなくフリーランスをやってみようと思いフリーランスになりました。
フリーランス時代(2018年)
サラリーマンとして身に着けたITの知識や技術がどこまで通用するのかが興味あったのと、サラリーマン以上に稼げることを体感してみたかったのです。
サラリーマンより稼げるようになった時に、副業の必要性も体感してみたかったのです。
フリーランスになってみてわかったのが、エンジニアはフリーランスになったほうがハッピーということですね。
サラリーマンの時代と比べて・・・
- 給料は上がり
- 働く時間も自由に調整でき
- 残業もまったくなくなる
- 仕事も楽になる
正直フリーランスをずっと続けていくという選択肢もありました。
ただこれ以上東京で暮らしていくのは、ストレスがマッハなのと環境を変えたかったので、以前から考えていた北海道にUターンを実行しました。
Uターンサラリーマン時代(2018年~)
Uターンするときにフリーランスとサラリーマンの2択がありました。
しかもフリーランスの案件が某電話屋さんの案件で長期間という超絶良い案件だったのです。しかし私はサーバー系のエンジニアだったのですが、案件的には主にBIG-IPといったネットワーク系の案件で最初から教えてくれるとは言え、そこがひっかかってました・・・。
ちなみに、僕が北海道にUターンしたときに利用したのはこちら。
悩んだ結果、某1部上場企業に転職しました。
かれこれ半年経過し思うところはありますが、それはまた別記事に・・・
ただUターンしてきたこと自体は全く後悔がないですね。
もう少し若いころであれば毎週イベントだ!ライブだ!って楽しんでいたのですが、最近もそれらも一通り落ち着いてきたので、日々の生活の満足度のほうが高いです。
平成最後の日
そして平成最後の日に愛犬が旅立ち、一人フロガソンをしているということを書き残しておく。